ミニマリストになったきっかけ
今日で東日本大震災から丁度5年です。
以前は部屋にあふれるお洋服や靴、書籍などを溜め込んでいましたが、この日を境に、もちものに対する考え方が変わりました。
関東で被災
東京のオフィスの床がぐるぐる周りました。同時に上下の揺れがわんわん続きました。スチールの机の下で「これもうダメかなあ」と思ったことを覚えています。
自宅にも周囲の人間に幸い大きな被害はありませんでした。テレビで見る信じられない光景が、同じ国の中で起こっていることにただただ衝撃を受けました。
昨年福島に行った時、未だに地元の人達から「復興」というワードが多く発せられることに驚きました。まだ全然終わってないんだと思いました。
大切な人やものが一瞬でなくなる
色々なものが、一瞬でなくなる光景を、テレビで何百回見ました。大事な人、もの、家。泣き叫ぶ人たち。さらに自然豊かな美しい地元が、急に立ち入り禁止区域になる。
治安の良い日本では、そんなこと起きないと思っていました。
もし自分の身に同じことが起きたら、とても耐えられない。こんなに沢山の服や靴を持っていても、天災や原発事故が起きた時に何も役に立たない。医療の知識もないし誰も助けられない。尚更、わたし一体何をやっているんだろう?と思いました。
ものを減らし始めた
明日もし逃げ出さなければいけなくなったら、どう考えても全部持って行けない。
必要なものだけを残したい、と、モノを手放し始めたのはそれからでした。
不要なものは家に置かない
ミニマリストです、と公言していますが、バックパック1つにものが収まるような生活はしていません。
自宅にはソファやテーブルもあります。
それでも、今不要なものは持たなくなりました。その時、必要なものをありがたく使うようにしています。
もし、の話
仮に何かがあって、今すぐ生活拠点を移さなければならないと言われたら、荷物のパッキングは2分で終わります。
お財布、iPhone、充電器、5日分のマスクとホッカイロ、下着の替え、ジェットウォッシャー、タオルハンカチ、ナルゲンボトル、ダウンジャケット、のど飴。ザックに詰めて終わりです。後はどこかで調達すればOKです。
原点を振り返る
ミニマリストになるのはそれよりずっと後ですが、わたしのミニマルライフの原点は、この日にあります。
最近「ミニマリスト」と名乗るのが少し気恥ずかしいのですが、もうしばらく続けてみます。
もしその言葉が廃れてしまっても、これからも「必要なものを厳選した暮らし」をしながら、大事なことにフォーカスを当てて、生きていくつもりです。
みどり