よりどりみどり

歯列矯正・ミニマリスト体験記など

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周囲の人に感謝しながら生きたい - 祖父の葬儀で感じたこと

急に祖父が亡くなりました。

家族・親戚が集まり、葬儀の支度や一連の儀式がひそやかに進められました。

 

ここ数日更新が途絶えたのはそういうわけです。急な出来事で本当に忙しく、おまけに体調を崩しました。頭も身体も重く熱っぽい。ぼんやりとして集中力が普段の2割くらい。疲労困憊、とはこのような状態なのかなと思ったり。

週末の予定はすべてキャンセルし(約束をしていた北海道の皆さま、本当にごめんなさい)、東京でゆっくりと休日を過ごしています。

忘れそうな感情が沢山あるので、ここに残しておきます。

やや長く、日記のようになりますがお許しください。

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葬儀のこと

大人になって葬式に参列するのは初めてのことです。ルールもマナーも分からなかったので、親族にアドバイスを受けながら準備しました。

 

自宅で亡くなった彼は、布団の上に白装束に包まれて横たわっていました。わたしが到着した時は既にエンバーミング(遺体のむくみをとったり綺麗にすること)を終え、すっきりした姿になっていました。

 

遺体を棺に入れ、真綿で模した服を着せ、彼の好む食べ物や僅かな衣類と一緒に、霊柩車で葬儀場に運びました。通夜は「夜を通して」と書きます。夜通し遺体に寄り添い、線香とろうそくを絶やさぬようにして過ごすものだそうです。

葬儀は家族葬ではありましたが、小さな会場は美しい花々で飾られており、綺麗でした。お経が読まれている間は色々なことを考えます。祖父のこと。祖母のこと。彼らの元で育った母のこと。わたしが彼女から受け継いだこと。母と生きる父のこと。皆の悲しみ。自分の悲しみ。そばにいてくれる人たちのこと。恋人のこと。友人のこと。従兄弟のこと。彼らの父母、親戚のこと。職場の同僚のこと。こうして思い巡らせていたら、多くの人に支えられていることに気が付きました。

 

祖父のようにわたしもいつか死んでしまうけれど、今、周りには大切な人達がたくさんいる。これは凄いこと。縁でつながっている。

 

わたしたちは一人では生きられないし、死んだ後も一人では死ねない。家族に見守られながら逝く。そうであるならば尚更、いつも支えてくれる人達を大切に、感謝しながら生きていこう。そんなことを何度も何度も考えました。

花の匂いと線香の匂いに包まれながら、通夜を終え、翌日、告別式を終えます。棺を火葬場に向けて運びだす前に、遺体の周りを花でいっぱいに飾り、冷たくなった遺体に触れて最後のお別れを告げました。遺体に話しかけるのはこれが最初ではありませんでしたが、最後には「ありがとう」という言葉が出てきました。祖父がいなければ、生まれてこなかったからです。

 

隣町の火葬場に着いた時、驚きました。十数本の木々から桜吹雪が舞う中に、映画やドラマで見るような白く所々黒く薄汚れた四角い建物の前が立っていて、白い作業服と作業帽を被ったおじさん2人、お辞儀をしながらわたしたちを待っているのです。泣きそうになりました。こんなこと現実に起こるんだって。

棺を前に短くお経が読まれ、焼香をしました。うっすらと消毒薬の臭いが漂う簡素な建物の中。いよいよ壁の向こうの銀色の重い扉の中に棺が収められます。祖母は終始静かでしたが、火葬場では少しうろたえていました。棺を覗き込み顔を歪めながら「頑張ったねえ」と声をかけている姿を見て、また泣きそうになりました。喪主をつとめた母はいつも以上に透明感が増していました。疲労とか悲しみとか、そういうものを超越して別の空間にいるようでした。

葬儀場で皆で食事をし(和食のコース料理がとても美味しくて驚いた)2時間ほどで火葬が終わりました。お骨拾いをするためにもう一度火葬場に行きます。文字通り祖父は白い骨に。祖母がまた顔を歪めていました。

骨はとても軽かったです。あっけないなあと思いました。

 

生きているうちに色んな事があったとしても、最後は白い骨になるのです。

この事実を知っているだけで、なんだか救われる気がします。

疲労困憊と体調不良

ただ参列すればいい。親族に久しぶりに会えるから嬉しい。そんな軽い気持ちで向かったのですが、全く見当違いでした。親族のお葬式、本当に体力を使います。母のサポート、祖母や父の身の回りの世話、儀式の手伝い、慣れない環境の中で湧き上がってくる様々な感情、睡眠不足、色々なことが重なり、疲労困憊で倒れそうでした。

 

3日目の朝にようやく自宅に帰れましたが、ベッドに倒れこんだらもうその日は2度と起き上がれないだろうと思い、重い身体を引きずって会社へ。退職の挨拶や引き継ぎなどで多くの用事があり、休むわけには行きませんでした。なんとかなってよかったです。

 

みどり