他人の人生を生きるな。自分の大切なものを思い出して。
私は最近「毎日5つ新しいことをしよう」という小さな挑戦をしているのだけど、これはなかなか名案だったと思う。毎日すごく楽しいのだ。
1.ピクルスを漬けてみた
— 小鳥遊みどり (@midori32s) 2018年6月3日
2.未読本を一気に3冊読んだ
→超楽しかった
3.友達とやる仕事のwebページを完成!
→見よう見まねのWebデザイン✨
4.以前の仕事の書類を全捨て!
→ここまで思い切ってできなかった!
5.ハワイのホテルを調べてみた
→8月に行く!#6月の新しいことチャレンジ
私は今、毎日好きなことをして暮らしている。しかし、Twitterのタイムラインを見ていただければそんなに大層な暮らしをしているわけではないことはご理解いただけると思う。
6.初めて見る銘柄の卵を購入
— 小鳥遊みどり (@midori32s) 2018年6月4日
→うまい
7.大好きなピラティスの先生と少し突っ込んだ話をする
→ますます好き😊
8.夫を初めて行く展示会に誘う
→ドキドキが2倍💓
9.根元が折れたクワズイモの葉を思い切って剪定
→根元が黒くなっていた🤭
→葉先は元気なので水差しへ✨#6月の新しいことチャレンジ pic.twitter.com/1i3EaLb6jz
大好きなウーパールーパーを眺めたり、夫とデートをしたり、週5でピラティスに通ったり、ときどき仕事をしたり、朝から少し外れた街の喫茶店に行ってみたり、図書館に本を読みに行ったり。どれも(特にピラティスと仕事は)頑張ることもあるけれど、自分のペース以上のことはやらないから、とても楽しい。きらびやかなホテルやレストラン、カフェなどは、今も仕事で使うことがあるが、日々の暮らしはとても穏やかだ。今は、こうした時間があることがとても幸せ。
西新宿に住んでから1年が経った。当時通っていた英語学校に近くて、友達も住んでいて、ビル群がすごく好きだから住んでみたかった街。新宿生まれ新宿育ちの人には「どうして(そんなところに)住んだの」と言われた。確かにこの街はいろんな人がいる。
最近、近所をとにかくウロウロ歩くことにしている。ここで暮らして1年経つと言うのに、オススメの飲食店も、地元ならではの店も、まだまだ全然知らないなということに気づいたからだ。きっかけは、先日ニューヨークに行った時に宿泊したアパートメントのオーナーとの会話。「人と違うことをしなさい。いつも違う道を歩きなさい。新しい発見をして、店の人と会話しなさい。新しいつながりを作り、その店の常連になりなさい。お店の人に声をかけて、話をしなさい。(他にもたくさん言っていたけど)誰もしないことをし続けるだけで、特別な人間になれるから。」オーナーの発言はだいぶ端折っているけれど、若い頃から海外に出て、ニューヨークを初め海外に複数の拠点を持って仕事をしている現在50代の彼の姿を見て、確かにその通りだなと思った。忙しそうだが人生が充実していそうだ。私は忙しいのは嫌だが「誰もやらないことをやりなさい」という話には大いに共感した。
というわけで、私が今月「新しいことチャレンジ」をしているのはそういう理由もあるのだが、今日は新大久保のあたりをうろうろしてみた。ピラティスのレッスンの後に朝食を食べたくてベトナム料理店を探していて、新大久保に行けばあるのではないかと。しかし、いかんせん時間が早かったようでどこも空いていなかった。ただ、おかげで、現地感あふれるベトナム料理店をたくさん発見することができて満足した。
そして、青や紫の紫陽花にたくさん出会った。
今は6月だから、そこらじゅうで紫陽花が咲く。自宅の近隣でも、神田川沿いを歩けば簡単に見つけられる。
昔は「6月だから鎌倉に紫陽花を見に行こう」とかなんともハイソなおばさんらしいことをよく思っていたのだけど、その辺に咲いてる紫陽花鑑賞はしたことがなかった。どうして他人が作ったマーケティングに乗せられて、近所の紫陽花を見て回らずに、鎌倉に行こうなどと思ったのだろう。紫陽花はそこら中に咲いている。美しいものも探せば見つかるし、紫陽花はどこでも楽しめるのに。
その時の自分の感情を振り返ると「みんなが素敵だと思う、素敵な私」になりたかったり「非日常を体験したい」という思いがあったりしたのではないかと思う。鎌倉は素敵な場所だ。紫陽花も大好きだ。だけど当時のは私は、鎌倉や、そこで咲く紫陽花に興味があったわけではなく、鎌倉で紫陽花を見ている素敵な私になって、日頃とは違う何かに出会いたかったのだ。自分の人生なのに、なんと他人任せなんだろう?
実際のところ、素敵な私なんて外には何もない。素敵なところは自分の内側にあって、その感性に共鳴した分だけ、外で素敵なことに出会えるだけだ。
非日常はどこにいても感じられる。
事実、毎日新しいことを5つしてみるだけで、私の心はかなりときめいているのだ。
伊勢丹にすっぴん&スポーツウェアでドキドキしながら入って。大好きなロエベで欲しいパズルバックの在庫を聞いて(なかった)、地下のパン屋さんでどうしても食べたくなった朝食用のレーズンパンを買って。たったそれだけのことなのに、ものすごく非日常だった。百貨店は、それまで私にとって、おしゃれをしていくところだったから。
当然ながら、何事もなく買い物は済んだ。とても面白かった。レーズンパンは(普通のレーズンパンだったけれど)何だかとても美味しく感じた。
私は去年の9月に「外資系の大企業勤め」というレッテルを外した。自分のやりたいことで生きてみたいと思って、その時にやっていた講師業をどんどん加速させた。次は起業家らしく会社を立ち上げて社長というレッテルをつけなければいけない、とか、もっとお客さんを呼ばなといけないから、みんなが憧れるような肩書きを持つために何か新しい仕事をしないと、とか、レッテルを外したにもかかわらず、外からの見え方に内心とても悩んでいた時もあるのだが、半年くらい前に思い切って多くの仕事を整理し始め、今の自分がやりたいことにフィットさせる仕事だけを残すようになってきてから、もう本当にどうでもいいなと感じている。
会社は必要なタイミングが(現実的な意味で)やってくるから今後作ることになるだろう。人生を振り返れば、なぜだか憧れる人はどんな時期も必ずいた。私は愛嬌のあるキャラクターなのだろう。肩書きは、みんなが面白いなと思うものが付けれられたらいいなと思う。でもそうこうしてるうちにピラティスの先生とかになってたら面白いなあ。体が変わるのが本当に面白くて夢中だから、月末から課金額を上げて、素晴らしいと感じる先生のマンツーマンレッスンを集中して受けることにした。 超こわいけど楽しみ。
紫陽花を見ながら、物思いにふけりつつ「人生ってすごくイージーだったんだな」と、思った。負けるものか、もっと上に上がってやる、人に素晴らしい、文句ない!と言わせるような人生を送りたい。思えば10年近くそういう風に頑張り続けてきて、そのことについては特に後悔はないけれど、実際そんなに頑張らなくても大丈夫みたい。
その時その時のタイミングで必要なものを取捨選択し、自分が満足できるように生きていけばいいだけ。それだけ。マーケティングや広告は、他人の都合だ。必要だと思うものだけを選び、必要な分だけ持ち、生きていけばいい。友達や仲間も同じだろう。そして家族も。
私だけじゃなくて、きっと皆さんも、大切なものはそう多くないはず。
自分の身体と感覚と頭を信じて、これからもワクワクすることを選び取っていく人生を送っていきたい。
小鳥遊みどり