あなただけの感情に蓋をしないで
こんばんは、みどりです。
日曜日の夜って、なんだか考え事をしたくなります。
今日はブログ仲間や読者の方など、沢山の方にお会いする機会に恵まれました。
お誕生日のお祝いをしたり、大好きなブロガーさんを囲って食事をしたり。幸せです。
こうして日々楽しめるのは、他でもない皆さまのお陰。いつもありがとうございます。
加えて、その土台には、こんな自分の心の土壌があると思っています。
「思い切り楽しむ」
人生は、点と点が繋がって線になるものだと思っています。
点だけを生きる刹那的な日々を送っていたこともありましたが、大人になるにつれ、自分の人生の線を感じるように。
とは言え、点である一瞬一瞬はとても大切なもの。
なぜなら、わたしたちはただ、今だけを生きているからです。
その今を、どんな風に過ごしたら楽しいだろうか。ワクワクするだろうか。
大好きな人達といられる時間は特に、そんなことを考えます。
どんな日であれ、今を楽しみたい。
わたしの心には、そんな思いが強く根付いています。
しかし昔は、ちょっと違いました。
楽しむことに罪悪感があった
長いこと「楽しむことは悪いことである」と思い込んでいました。
原因は子供の頃。親から聞いた、彼らの口癖です。
遊んでいる暇があるなら勉強しなさい。
そんな無駄なことをして何になるの。遊ぶのは無駄で、不要なこと。悪いこと。
「ふーん、そうなんだ」と思いました。(子供の頃って、素直ですよね)
友達と遊ぶことや、ゲームで遊ぶことは、わたしにとって、とても楽しいことでした。
しかし、友達と遊んでいると呼び戻され、ゲームは急にスイッチを切られ。
「遊ぶこと=悪いこと、であれば、楽しいこと=悪いことなんだ」
そんな風に思い込んでいたんですね。
思い込みがほぐれていったのは
大学生の頃に出会った、年の離れた友人がいました。
彼は毎日楽しそうでした。
仕事がどんなに忙しくても、休日は恋人や友人の元に出かけ、長い休暇が取れると実家に帰り、周囲の人との関係を大切にしているようでした。
ある日、他の友人達と一緒に、車で海にでかけました。昼間はドライブと港町を観光。夜はビーチパーティ。
いつもなら(こんなに遊んでいて、いいのかな。授業の課題、終わってないし。)とか考えていたと思います。しかしその日は、もうなんだか、めちゃくちゃ楽しかった。
「あのさ、楽しむことって、悪いことだと思ってた。」と言うわたしに対して、
「いいんだよ、楽しめば。悪いことなんて何もないんだよ。」彼はにっこりして笑うのでした。
その日から、自分の考えが、少しずつ変わったように思います。
毎日は楽しんでもいいんだな。と、素直に感じられるようになり、友達と過ごす時間が嬉しい物に変わっていきました。
灰色の日々が輝き出したのは、言うまでもありません。
自分の感情、抑えつけてませんか
もっと楽しみたい。アレをやってみたい。コレが欲しい。
色々と興味や関心はあるのにもかかわらず、
だけど、現実には・・・。
〜だから、出来ない・・・。
自分には、とても無理・・・。
周りの人に、悪いから・・・。
と、自分の感情に蓋をして、何故か鬱々としている人にお会いすることの多いこと。
なんだか、勿体無い気がしてしまうのです。
本心を我慢するのは辛いから
わたしなら、心の底から感じている「いつも、楽しみたい」という本心。
これを押さえつけるのは、かなり辛いです。
その感情、我慢しないで、ちょっとノビノビさせてあげても、いいのでは。
やりたいことがあるなら、ちょっとだけその方向に手を伸ばしてみたり。
実現するかはわからないけれど、心のなかで願ってみたり。
こうしたい、と思うのなら、声に出して言ってみたり。
誰かの価値観や、常識にとらわれず。時に自由な発想で。
別に叱られませんよ。たとえ身近な誰かが叱ったとしても、思考まで奪われることはありません。
心の声を聞いてみる
誰かがこう言ったから、ではなく、自分が感じる感情や思い。とても大切だなーと思います。それは個性で、自分らしさを作るものだからです。
悩んでいることや、迷っていることがあるなら、自分の声をよく聞いてみるといいかもしれません。
あなた自身を救うアイディアやきっかけは、案外そういうところに眠っているものですよ。
懐かしい思い出と共に、感じたことをお届けしました。
お読みいただきありがとうございます。
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みどり